【自己紹介】神奈川支部  益田総子

幹事の益田総子です。55年前の医学部卒業ですので、80歳を越えました。卒業後すぐ結婚し2人の子どもが産まれ、時間的余裕がないまま、小児科医として病院に勤務しました。肩書きは小児科医ですが、小児科医局に在籍したことはなく、小児科学会にも所属していません。漢方薬の本を多数出版した関係で、漢方医といわれたりしますが、東洋医学会にも所属していません。要するに学会の所属なしです。
15歳の時に父親が今でいう医療ミスで突然亡くなり、母が子ども5人を抱えた母子家庭になり、「お金がない、お金がない。子どもが5人もいるし、うちは貧乏だ」といい続け、「赤貧洗うが如し」とはこれだと私は信じ込んでいました。
そのため「学費は自分で稼ぐ」条件で、横浜から通学できる範囲の国立大学を5人とも卒業しました。当時は、60年安保と70年安保の真ん中で、世間全般の空気が今よりずっと活気があり、自由でした。
当時の国立大学の年間授業料は9千円。日本育英会の特別奨学金と家庭教師のアルバイトで、医学部の6年間を賄いました。数少い医学部の女子学生なので「安心して娘を頼める」という理由で、バイト先は数多。
この話を仲のよい同級生に話したら「あなた変よ。本当に貧乏だったら私達の世代は、高校に行けなかったはず」と指摘され、自分が少し変だと初めて気がつきました。
その後も他人の話をすべて鵜呑みにする性格のため、世間的には相当ずれているようです。50代の頃に患者さんから「世聞知が低い」「やっぱり本当に天然なんですね」といわれ、意味が全然わからず、辞書で調べたり、看護師に質問したりして、その用語の使い方を少しずつ知りました。でも、今も明確には自分の状態を自覚できません。
4年前に開業していたクリニックを閉じ、パートタイムで神奈川診療所に勤務するようになり時間的に余裕ができ、「日本の科学者」をよく読むようになりました。「定期刊行物の発送作業の手伝いくらいはできる。枯れ木も山の賑わい」と考え、神奈川支部の例会に毎月参加するようになり、3年たちました。想像したよりはるかに居心地がよく、コロナ禍でも「愛」を感じられます。
この私のレベルでも大丈夫ですから、どなたでも気楽に「科学者会議」の会員になって、例会に参加してみてください。

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